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復元模型:人類の進化



「人類の進化」復元模型の製作裏話

  • 2010/08/29「教員のための博物館の日 2010」
  • 海部陽介

フロレス原人(ホビット)の復元
    • 2003年に、インドネシアのフローレス島にある洞窟から化石が発見されました。学名はホモ・フロレシエンシス、通称ホビットと呼ばれています。身長約1.1メートル程度の小型人類で、原人の生き残りと考えられています。この地域にホモ・サピエンスが現れたのは5万年前ころですが、フロレス原人は約1万7000年前ごろまで生き残っていました。いつ、どうやってこの島へ渡ってきたのか、どうしてこれほど小さいのか、なぜ絶滅したのかなど、たくさんの謎があります。洞窟内からは、彼らが作った大量の石器が発見されており、彼らがここで石器を作って暮らしていたことがうかがわれます。
    • 化石骨から身長や体型などを調べて復元を行いました。頭も脳も小さいですが、眼は比較的大きく口元が前へ突出する特徴があります。身長は低いですが、特に脚が短く、腕は長かったことがわかっています。右足の小指や左脚のすねの内側に怪我の痕跡があったため、それも復元に表現しました。
    • 大陸から海で隔てられたフローレス島には、動物たちはなかなか渡ってくることができませんでした。そのため、島にいた大型の動物といえば背景に描いた4種類くらいで、しかもどれも変わっていました。これらは、矮小化したゾウ(ピグミー・ステゴドン)、体長3メートルにもなるコモドオオトカゲ(現生種はフロレス島の隣のコモド島に生息)、大型で肉食のトリ(ハゲコウのなかま)、巨大なネズミです。フロレス原人は時にこれらを捕らえて食べ、また逆に食べられることもあったかもしれません。
    • 復元の舞台設定は、ちょっと緊張感のあるこんな感じです:ホビットの女性が、石器を使って巨大ラットを解体していたところ、突然、巨大ハゲコウが現れました。ホビットは立ち上がって相手の出方をうかがっています。石器の刃先をよくみると、ちょっと血がついていることがわかります。大きなトリを小さなホビットが見上げているので、そばによると皆さんと彼女の視線がちょうど合うはずです。そんなことも計算して、この展示を作りました。



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マンモスの骨の家
    • このようなマンモスの骨を利用した住居は、東ヨーロッパのいくつかの国で見つかっていますが、特に多いのはウクライナです。展示のモデルとしたのは、ウクライナのメジリチ遺跡で見つかった4つの住居のうちの1つです。
    • 実物の住居は、だいたい直径5メートルくらいの円形か楕円形でした。遺跡に残っていたのは骨だけですが、おそらく木で枠が作られ、毛皮で覆ったその上に、骨がおもしとして置かれたと考えられています。住居の下段にたくさん重ねられているV字型の骨は、マンモスの下あごの骨です。となりの「古生物」の展示までちょっと行って、確認してみましょう。よく見ると、その中側にはマンモスの頭骨が逆さにして並べられています。顎の上には肩や骨盤の平らな骨が置かれ、そして入り口には立派な頭骨と牙でアーチが組まれていました。さらに入り口の前には、腕や脚といった長い骨が並べられたようです。使われた骨は全部で406個、重さにしてバス2台分にもなりました。
    • メジリチ遺跡の年代は、放射性炭素法で1万8000年前と測定されています。すさまじく寒いこの地域に、原人などは定着できませんでした。しかし私たちの祖先は、こうした優れた住居や衣服を作ることなどにより、4万年前も前からこの土地への進出に成功したのでした。現在のようにストーブもエアコンもない時代のことです。しかもこの当時は、今よりもさらに寒い氷期だったのですから、本当にすごいですよね。
    • 展示されている復元住居ではちょっと中が暗くて見えませんが、住居の中で、人々は何をしていたのでしょう? このような住居の中には、炉があり、火が炊かれた痕跡がありました。そして床一面に石器が散らばり、様々な動物の骨のほか、マンモスの牙の彫像などが見つかっています。どうやら人々は、寒い冬に、この立派な住居の中で、食べ物の下ごしらえと料理、道具作りから裁縫、アクセサリーの製作など、様々なことを行っていたようです。
    • 住居の外はどうなっていたのでしょう? それを示す展示が、住居の向かいの白いゲートのそばにあります。このミニ・ジオラマでは、毛皮の衣服を着た女性が、穴にマンモスの牙を納めようとしています。寒いこの土地では、地面の下は凍りついており、祖先たちはそこに穴を掘って、食料を冷凍保存したようです。さらに大事な道具の材料である牙などを、外の乾燥した空気から守るため、こうした穴に入れておくこともよく行われたようです。寒い土地で生活するために、様々な工夫があったことがわかります。

古代ポリネシアのダブルカヌー
    • 展示の舞台は1300年ほど前の太平洋で、大型の木製・帆つきカヌーカヌーは、タヒチ島からハワイ島へと、新しい生活の場を求めて移住していった私たちの祖先の姿を復元したものです。このカヌーは、船体が2つ平行に組み合わされたダブルカヌーと呼ばれるもので、古代ポリネシア(ハワイ・ニュージーランド・イースター島を結ぶ三角形の海域)で用いられていました。大勢の人や荷物を載せることができ、安定性に優れた舟です。展示物は3分の1の縮小模型ですが、実物は長さ20m以上もある大きなものでした。
    • この模型の船体は木で、ロープはココヤシの繊維を編んだものと、当時使われていたと考えられている材料を使って精巧に仕上げてあります。次に舟の上を見てみましょう。古代ポリネシア人たちは、海で魚を釣ったりする以外に、タロイモやヤムイモなどを栽培する農耕民でした。ニワトリとイヌがいますが、これらは人々が家畜として連れていたものです(このほかブタも飼われていました)。それから新しい島で植えるための、タロイモやヤムイモの苗、ココナッツの実があります。ココナッツの実にはおいしいジュースが詰まっていますから、これは航海中の飲料水にもなったはずです。バナナなどものせていたでしょうが、航海の終盤なので食べつくしてしまったという設定にしました。
    • 次に乗っている人々を見てみましょう。衣服は、男はふんどし、女は腰まきと、ポリネシアの伝統的なものです。入れ墨をしている人もいますが、そのデザインは、ハワイの伝統的なものになっています。若い成人男女と大きな子供たちだけが乗っていますが、これは長い航海は本当に大変であったので、老人と赤ん坊を連れて行くことは避けただろうという想像に基づいています。
    • 古代ポリネシア人たちは、金属を使っていませんでしたので、カヌーの木材は石斧で切り出され、組み立ても釘ではなくロープで縛ることなどによってなされています。彼らは文字を使っていませんでしたし、地図も方位磁石も持っていませんでしたが、星の位置や波の様子などを巧みに利用する、自分たち独自の航海術を編み出していました。島影の見えない大海原を何日も航海して、きちんと目的地にたどり着くことができたのですから、本当にすごいものです。今日のハワイ人たちは、勇敢に海の向こうを目指した自分たちの祖先のことを、たいへん誇りにしています。



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