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展示解説:人類の進化



地球館B2F「人類の進化」展示解説のポイント

  • 2010/08/29「教員のための博物館の日2010」
  • 国立科学博物館・人類研究部編

 1)導入部

  • ヒトと大型類人猿(チンパンジー・ゴリラ・オランウータン)の骨格の違い
ヒト
二足直立歩行、脚が長い、脳が大きく顔面が小さい、犬歯も小さい
類人猿
木登りが得意、脚が短い、脳は大きくないが顔面が大きい、犬歯も大きい
  • 人類の遠い祖先たち

ヒトはサル(霊長類)のなかま。解剖学的にも、行動的にも、遺伝子の上でも両者は似ている。ヒトの遠い祖先はサルだった(現生のサルと祖先を共有している)。
霊長類の登場は6500万年以上前、類人猿はおよそ3000万年前、人類は700万年ほど。

 2)アフリカにおける人類の進化

  • 最初の人類を猿人と呼んでいる
  • 400万年前より古い時期のことも徐々に明らかになってきている。
  • 猿人はアフリカで進化し、アフリカの外へ出ることはなかったらしい。
  • 脳はチンパンジー並みに小さかったが、二足直立歩行していた証拠がある。
  • 膝や腰の骨の形が人類的で二足歩行向き。足跡化石もある。
  • 二足歩行を始めた理由は諸説ある。いずれにしても結果的に手が自由になり脳の発達にもつながった。(水の中で立ち上がったとの説は否定できる)
  • 300万〜200万年前の間に、人類は大きく2つの系統に分かれた。歯とアゴの発達した頑丈型猿人と、道具を使い脳が大きく歯の小さなホモ・ハビリス(初期の原人)。地球全体が氷期に入って寒冷化し、アフリカでも乾燥化が進んだことと関係があると考えられている。

 3)ユーラシアへ拡散した原人

  • 脳が大きくなった原人は、やがてアフリカを出てユーラシアの熱帯・温帯域へと拡がって行った。その最古の証拠は、グルジア共和国のドマニシ遺跡(175万年前)から見つかっている。
  • このグループは(広義の)ホモ・エレクトスと呼ばれ、ある程度の地理的な多様性を示す(北京原人、ジャワ原人、アフリカの原人など)。また時代を追った脳の大型化などの進化傾向もみられる。
  • やがて、おそらくアフリカで、さらに脳を大型化させた旧人が現れ、このグループがユーラシアへも拡がった可能性がある。
  • ネアンデルタール人は、ヨーロッパを中心に分布していた旧人の1つの地域集団である。
  • 2003年に、インドネシアのフローレス島から、小型化した原人の化石と石器が発見され、注目を集めている(下記4参照)。

 4)絶滅人類の生態復元

代表的な絶滅人類の骨格模型と、科博人類研究部の研究者がそれに基づいて推定した復元モデルを展示している。解剖学的な正確性を期したのはもちろんのこと、爪の先の汚れに至るまで細部にこだわった。復元おいては、身長や体型など骨からわかる部分と、肌の色や毛の濃さなど科学的な証明が難しいため推測に基づく部分がある。

猿人 
この復元はルーシーと呼ばれる、アウストラロピテクス・アファレンシスの骨格化石に基づいている(エチオピア、320万年前)。身長が小さいが、親知らず(第3大臼歯)も生えていて大人のもの。女性と推定されている。猿人は背が小さく、脚が短く、脳もチンパンジー並みに小さく(450cc程度)、顔が前に突出していること。これらの点でチンパンジーとも似ているが、直立二足歩行し、犬歯もやや退化した人類であった。体毛がどれくらい濃かったかはわからない。本復元では薄めにしてあるが、濃かったという考えもある。
原人
この復元は、トゥルカナ・ボーイと呼ばれる、ケニアで見つかったホモ・エレクトスの少年の化石に基づいている。年齢は、現代人で言えば11〜12才くらいだが身長は高かった。 この頃のアフリカにいたホモ・エレクトスは、身長180cmくらいでかなり大型だった。脳は現代人の3分の2くらいだが(900cc程度)、脚も長くなっており、体つきはかなり現代人的になっていた。
旧人
この復元は、ラ・フェラシー遺跡出土の化石などを基にした、ネアンデルタール人の骨格に基づいている。ネアンデルタール人は、ヨーロッパを中心に分布していた旧人の1つの地域集団である。大きく大柄であったが体つきは現代人とあまり大きくは違わなかった。眼窩上隆起が発達するなど、顔つきには独特の特徴がある。
フロレス原人
学名はホモ・フロレシエンシスで2004年に提唱された新種の人類。身長が1メートル強と極端に小さく、通称ホビットと呼ばれる。小型のゾウ、大型のトカゲ・肉食のトリ・ネズミのいる島で、1万7000年ほど前まで生き残っていた。(※補足資料参照

 5)世界へ拡散したホモ・サピエンス

  • 全ての現代人は生物学的に1つの種ホモ・サピエンスに属する。よく誤解されるが、「人種」とは現代人のいくつかの地域集団を指す言葉で、生物学的な種ではない。
  • ここでは、ホモ・サピエンスが誕生したアフリカを起点とし、私たちの祖先たちが旧石器時代に世界へと拡がって行った足跡をたどる。
  • この時期は氷期で、地球全体は今よりも寒く、高緯度地域に巨大な氷床が発達したため海水が減って海水面が劇的に下がり(〜120メートルほど)、今よりも海岸線が遠くにあって陸地が広がっていた。
  • この時期の祖先たちは、「世界地図」を持っていなかった。数々の探検をしながら、あちこちへ広がっていたのだろう。
  • ホモ・サピエンスはもともとアフリカにいた1つの集団だったが、世界へ広がることによって、文化的な多様性が生まれた。また多少の身体的多様性(人種形質)が生じたが、集団間での遺伝子の違いはごくわずかである。
アフリカの部屋 
    • ホモ・サピエンスは20万年前頃のアフリカで旧人から進化し、6万年前以降に急速に世界中へと拡がって行ったらしい。
    • アフリカからは世界最古のホモ・サピエンス化石が見つかっているだけでなく、世界最古のアクセサリーや幾何学模様などが見つかっており、「ヒトらしさ」もここで進化したと考えられる。
ユーラシア(中〜低緯度地域)の部屋 
    • 私たちの祖先がアフリカからユーラシアへ進出したとき、ここにはネアンデルタール人や中国の旧人、インドネシアのジャワ原人やフロレス原人などの先住集団がいた。
    • ユーラシア西方のヨーロッパへ拡がった集団は、クロマニョン人と呼ばれており、壁画や彫刻などの芸術作品や、縦笛などを残した。東のアジア方面へ進出したグループの一部が、日本列島へもやってきた。
オセアニアの部屋 
    • オーストラリア・ニューギニアにはおそらく5万年前頃に、祖先たちが到達した。海の向こうのこの地には、先住の人類はいなかった(ホモ・サピエンスが最初に渡来した)。
    • さらに遠い太平洋の島々(ハワイやタヒチなど)への進出は、時代が下り、3500〜1000年前ころに、農耕を行う新石器時代の集団が、東南アジアから木製の大型カヌーで移住した。(※補足資料参照
北ユーラシアの部屋 
    • 極端に寒いこの地には、ホモ・サピエンスより前の人類は定着できなかった。われわれの祖先たちは、4万年前以降に、ここにマンモスの骨などを利用した構造的な住居を作り、暖かい衣服を発明するなどして、進出していった。(※補足資料参照
    • ロシアのスンギール遺跡からは、28000年前の、アクセサリーを大量に伴う豪華な墓が発見されている。
アメリカ大陸 
    • 最初にアメリカ大陸へ渡った人類は、(コロンブスではなく!)シベリアにいたアジア系集団。
    • 彼らのアメリカ大陸進出は、最終氷期が終わって気候が温暖化してきた1万4000年前頃かそれ以前に達成された。

参考文献

海部陽介(2005)人類がたどってきた道. 日本放送出版協会.
斉藤成也(編)(2009)絵でわかる人類の進化. pp. 98-168. 講談社.