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初等中等教育に人類学的観点を導入する必要性

初等中等教育に人類学的観点を導入する必要性についての提言

 日本人類学会では、これまでの議論をふまえ平成20年1月に文部科学省に標記提言を提出しました。その提言をさらに教育普及に活用するために当委員会は活動しています。

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日本人類学会
会長 馬場悠男(2008 年1 月当時)
平成20年1月10日

 本学会は、現在見直しが進められている初等中等教育の内容に、人類進化史的な観点による人間と自然の包括的理解を導入することが必要であると考えております。一昨年から議論を進めて参りました結果、日本人類学会として下記のような基本的観点から、初等中等教育に人類進化史的な観点を導入する必要性があると考えております。

 <基本的観点>

1.人類進化は変動する自然環境への適応の歴史である

 私たち人類は、およそ700 万年前にチンパンジーとの共通祖先から別れ、激変するアフリカの気候に適応し、多くの種に分化しながら進化してきました。直立二足歩行による効率的な移動能力に加え、自由な手による道具使用と言語によるコミュニケーションにより文化を生み出し発展させました。さらに、約20 万年前にアフリカで誕生した新人ホモ・サピエンスは、約5万年前以降、急速に世界中に広がり、さまざまな環境に適応し、身体的・文化的な変容を遂げ、今日の多様な地域集団とそれぞれの文化を形成しました。
このような人類の起源と進化についての基本的認識を、理科・生物や社会・地理歴史(世界史・日本史)の分野で取りあげることは、生物としてのヒトの本質を理解するだけでなく、地球レベルでの自然観や生命観、さらに今日的な世界観を養う上で有益かつ重要であると考えます。
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2.私たちの身体は最も身近な自然の教材である

 ヒトの身体は、進化の過程で文化との相互作用によって形成されましたが、本質的には自然の一部です。その身体に興味と関心を持ち、身体に潜む進化の謎を探ることによって、人間と自然との係わり合いがよりよく理解されるでしょう。
 つまり、私たち個々人の身体は、太古の昔から生じてきたDNAの突然変異の蓄積によって基本的ボディプランが設計されていること、そして700万年に及ぶ人類進化の過程で環境との相互作用によって発展・洗練されてきたことを生徒たちに自覚させることにより、生物進化のメカニズムを、より効率的に、興味をもって理解させることができると思います。身近なヒトの身体と進化について取りあげることは、生物進化の項目の一部としてばかりでなく、理科・生物学習の導入部分など随所で効果を持つものと考えます。
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3.生理的早産と成長遅滞はホモ属の人類の適応戦略である

 ヒトは文化に依存する動物であり、その文化を身に着け、次世代へ継承させるためには、良好な精神・身体能力の発達が欠かせません。ところが、私たちの成長パターンはきわめて特異です。生理的早産をして乳幼児期に大脳を急速に発達させ、児童期を延長し成長を遅滞させておいて、思春期に成長を加速します。
 このような成長パターンは、世話が大変でコストはかかりますが、長い児童期に「可愛い良い子」でいるうちに充分な教育を行うために不可欠なものです。その結果、豊かな人格が形成され、質の高い文化が正当に継承され、人類全体の高い環境適応能力が維持されることになります。私たちの成長パターンは、ホモ属の人類が進化する過程で徐々に発展し、ホモ・サピエンスになって完成した類例のない高度な適応戦略であるといえます。
 人類進化の過程で獲得した特異な成長パターンの意義を、ごく身近な例を通して生徒・父母たちが納得できれば、義務教育を受ける必要性を生物学的な視点から理解することを促し、学習意欲を高めることにつながると思います。これは、近年危惧されている理科に対する興味関心の低下を食い止めるための有効な手段となりうるものと考えます。
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ヒトの成長パターンを表す模式図と、それを人格の発達と自己実現になぞらえた模式図。
脳の発達は夢・目標に、身体一般は現実に、生殖は自己主張になぞらえられる。夢・目標と現実との差を埋めるのは知育であり、現実と自己主張の差を埋めるのは徳育であるといえよう。


4.ホモ・サピエンスたる人類には地球の自然環境を守る義務がある

 初等中等教育における学習の根本は、社会や自然という人間を取り巻く環境を、自分との関係でどのように理解するかにあると思われます。それは、社会や自然を利用して自分がどのように生きるかだけでなく、自分が社会や自然に対してどのように責任を持つかを自覚し、行動することでもあります。
 人類は、数百万年に及ぶ進化の過程で、自然環境と相互に作用しながら適応を遂げ、ほかの哺乳動物とは異なる特質を持つようになりました。特に、ホモ・サピエンスになってから、知性と文明の異常ともいえる発達により地球全体の自然環境に多大の影響を与える存在になりました。地球環境は人類のためだけでなく、そこに棲むすべての生き物たちのものです。私たちが、その学名ホモ・サピエンスのように、自然界で最高の知性を持つヒトであるなら、ほかのすべての生き物に対して、地球環境を守る義務、いわばノブレス・オブリッジを持っているといえます。
 これに気づき、真摯に受け止めることは、現在危惧されている生物多様性の衰退、地球温暖化、資源の枯渇、遺伝子組み換え食物、地域格差、人口問題、人種差別などの人間社会を取り巻く諸問題の理解と解決に不可欠です。それは、理科・生物や社会・地理歴史(世界史・日本史)の学習で、ヒトの生活と自然環境との相互の関連について、分野を越えて人類進化史的な観点で取り上げることによって可能となります。
このような観点や扱い方は、科学技術の分野だけでなく政治や文化の分野でも、日本が自然保護や生命倫理の意識を見失わずに世界に向けて情報発信していくために、今後ますます重要になってくると思われます。
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新人ホモ・サピエンスの拡散を示す概念図