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2010年度シンポジウム

2010年度シンポジウム「骨考古学から見た古代蝦夷・隼人」

  • 日時:2010年10月2日(土):9:00〜12:00、14:30〜15:30
  • 会場:だて歴史の杜カルチャーセンター大ホール
    • 主催:日本人類学会・骨考古学分科会
    • 共催:科学研究費補助金 基盤研究(B)「新手法による日本人集団の形成に関する研究」
    • オーガナイザー:瀧川渉

シンポジウム趣旨説明

本年2010年は平城遷都1300周年の節目の年でもあり、奈良時代を中心とした古代史への関心が再燃しつつある。当時の東北地方や九州地方南部には、畿内政権によって「蝦夷(エミシ)」や「隼人(ハヤト)」と呼ばれた人々が居住しており、朝廷にまつろわぬ者との認識のもと、しばしば叛乱を起こしたとして「征討」の対象になったことは、限られた文献史料を通じてよく知られてきたことである。しかしながら、この人々の具体的な実像や生活については、考古学的調査が進展してきたとは言え、まだ不明な点も少なくない。今回のシンポジウムでは、自然人類学・骨考古学の視点から、古代東北・南九州に住んでいた人々の身体的特徴や遺伝的多型について知り得た近年の情報を紹介・比較するとともに、動物利用や食性などに基づいた生活史の一端をも垣間見ることによって、今後「蝦夷」や「隼人」をどのように理解すべきかを考える一助としたい。

 スケジュール

  • 9:00〜9:10  趣旨説明と基調講演演者紹介

基調講演(各40分)

  • 9:10〜9:50 「『蝦夷』とは何か−文献史学の立場から」
    • 熊谷公男(東北学院大学文学部)
  • 9:50〜10:00 質疑応答
  • 10:00〜10:40 「彼らは何故『隼人』と呼ばれたか?−考古学の視点から」
    • 北郷泰道(宮崎県埋蔵文化財センター)
  • 10:40〜10:50 質疑応答

各論講演 A:古人骨(各20分)

  • 10:50〜11:10
    • 「古人骨からみた東北古代人」
    • 瀧川渉(国際医療福祉大学福岡リハ学部)・川久保善智(佐賀大学医学部)
  • 11:10〜11:30
    • 「古人骨からみた南九州古代人」
    • 竹中正巳(鹿児島女子短期大学生活科学部)
  • 11:30〜11:50
    • 「同位体でみた古墳時代から古代の食生態とその地域性」
    • 米田穣(東京大学大学院新領域研究科)・瀧川渉・竹中正巳・向井人史(国立環境研究所)
  • 11:50〜12:00 前半各論の質疑応答
  • 12:00〜14:30まで休憩・中断

各論講演 B:動物骨とDNA分析(各20分)

  • 14:30〜14:50
    • 「古代東北における動物利用」
    • 菅原弘樹(東松島市奥松島縄文村歴史資料館)
  • 14:50〜15:10
  • 15:10〜15:30  後半各論の質疑応答と総括(片山一道)
  • 15:30 閉会
  • 15:30〜16:00  骨考古学分科会総会

「蝦夷」とは何か―文献史学の立場から―

  • 熊谷公男(東北学院大学文学部)

「蝦夷」とは、異文化集団を中核とした国家北縁部の未服属の人々を、古代国家が一括して把握した概念で、多様な文化集団を含んでいた。そのなかで中核となる東北北部の蝦夷諸集団を文献史料からみてみると、「夷語」とよばれる独自の言語を話し、伝統的な狩猟文化を一定程度保持しながらも、稲作・馬飼など南方の倭人文化を積極的に取り入れ、独自の生活形態を形作っていた。また考古学的にみても、土師器を用い、隅丸方形・竈付きの竪穴住居に住むなど、南方の土師器文化を大幅に受容しながらも、蕨手刀を威信財とし発達させ、「末期古墳」が盛行するなど、南北両系統の文化を融合させた独自の生活文化を形成していたことが確認できる。本報告では、蝦夷文化の独自性の再評価を試みたい。

彼らは何故「隼人」と呼ばれたか?−考古学の視点から−

  • 北郷泰道(宮崎県埋蔵文化財センター)

8世紀初め、『古事記』『日本書紀』は、南九州の人々を熊襲・隼人と記した。熊襲は、前方後円墳の分布が空白となる、佐賀関半島と宇土半島の南部から以南の人々の包括的呼び名。その中で、宮崎平野部などには限定的に前方後円墳が築造され、代表権者・諸県君は畿内王権と婚姻関係を結んだ。5世紀後半以降、畿内王権と対峙しながら、7世紀後半に従属化、時に反乱を起こした人々が隼人とされた。
火山灰台地での畑作を基幹として牧畜と海上交易で、劣位な稲作の不足を補った。独自のアグリカルチャーは、独特のカルチャーを生み出す。その象徴が地下式横穴墓などの固有な墓制。この異なるカルチャーが、「まつろわぬもの」の認識に繋がっていく。

古代東北における動物利用

  • 菅原弘樹(奥松島縄文村歴史資料館)

古代人の生業活動や動物利用を考える上で動物遺存体の研究は有効であるが、弥生時代以降、とくに古墳時代〜古代遺跡からの出土は稀で、資料に乏しい。一般的には稲作農耕が始まり狩猟・漁撈活動の生業上の役割が低下したと考えられているが、骨考古学的な視点での検討はほとんどなされていない。本発表では、多賀城周辺の遺跡から出土した動物遺存体の出土状況をもとに、古墳時代中期〜古代の生業活動および動物利用の実態について検討する。また、方格地割内を流れる河川跡からは多量のウマ・ウシが出土し、斃牛馬処理場の存在が明らかになっている。多賀城における牛馬の特徴および家畜としての役割についても検討を行う。

古人骨から見た東北古代人

  • 瀧川渉(国際医療福祉大・福岡リハ),川久保善智(佐賀大・医・解剖人類)

古代東北の居住民である「蝦夷」について、かつて形質人類学では、その系統をアイヌか和人のいずれかに求めるという議論がなされてきた。しかしこれらの議論はあくまで近現代資料に基づいたもので、実際は古墳〜奈良・平安時代に属する古人骨の出土例そのものが、東北地方では極めて限られていた。今回の発表では、系統論的側面からの近年の研究動向を概観し、古人骨の各種形質に基づいた東北古代人の位置づけについて整理する。また、骨考古学の視点から、齲歯や多孔性骨過形成症、外耳道骨腫といった生活痕にも着目し、東北古代人における出現状況を周辺の先史・古代集団と比較することで、その生活史の地域性や時代変化について考察する。

古人骨からみた南九州の古墳時代人

  • 竹中正巳(鹿児島女子短大)

805年以降、南九州の住民に対し隼人の呼称は用いられていない。朝廷から隼人と呼ばれた南九州の人々は朝貢を行った。682年から805年の間である。隼人の具体的な実態を文献上で確認できるのは朝貢した天武朝から奈良・平安期である。この時期の南九州の人骨資料は現在の所火葬骨しか出土しておらず、朝廷から確かに隼人と呼ばれた人々について古人骨から知ろうにも現在のところ難しい。それに比べ、古墳時代人骨の出土数は南九州で多い。これは地下式横穴墓という墓制が盛んに用いられたことによる。今回の発表では、近年新たに出土した人骨資料を加え、南九州地域の古墳時代人の形質・生活・風習について検討を行った結果を報告する。

東北古代人のミトコンドリアDNA解析

  • 安達 登(山梨大・医・法医)

宮城県石巻市・梨木畑貝塚出土の古墳時代人骨2体についてミトコンドリアDNAの遺伝子型を精査し、既報の東北地方縄文人、平安時代人、江戸時代人のそれと比較検討した。
その結果、1号人骨はハプログループD5に、2号人骨はN9bに分類された。N9bは東北・北海道縄文人では60 %以上の高頻度でみられるにも関わらず、平安時代、江戸時代の東北地方人には検出されない。このハプログループがわずか2個体の検査で東北古墳時代人に確認されたことは、「縄文的遺伝子型」が、古代には東北地方にまだ色濃く残っていた可能性を示すものと考えられる。

同位体でみた古墳時代から古代の食生態とその地域性

  • 米田穣(東大・新領域)・瀧川渉(国際医療福祉大・福岡リハ)・竹中正巳(鹿児島女子短大・生活科学)・向井人史(国環研・CGER)

古墳時代は、水田稲作農耕を中心的生業とした古代律令国家の形成にむかって、複雑な社会構造が発達したと考えられる。この時代の社会でイネが果たした役割について、遺跡から出土する古人骨における炭素・窒素同位体比のデータから復元を試みた。食生活の個人的な情報がわかるという分析の特性をいかして社会的階層化と食生活の個人差について確認し、東北地方や南九州における食生態の地域性などについて議論する。